※神話を元にしていますが、好きなように書いておりますので
実際の神話とは別物としてお読みください。
※人によっては苦手と感じる展開なのでご注意ください。
03
私と兄様は二人きりだったけど、それでも楽しく暮らしていた。今までと変わらずに二人で笑いあって泣きあって、たまには喧嘩もして、ずっとずっと楽しく暮らしていけるのだと信じていた。
だけどそれからしばらく経って、私は自分の中に知らない感情を見つけてしまった。自分でも抑えきれない何か。これが私たちの関係を大きく変えてしまうものだとは、このときは全く想像していなかった。
私は、それまでは今のままで十分幸せだったのに、どこか物足りなさを感じるようになっていた。もっとあなたに近づきたい、もっと私を見てほしい。それが一体何なのかわからないまま、苦しさに潰れてしまいそうだった。ここ最近はそんな状態がずっと続いている。顔に出さないようにしていたけれど、兄様には私が悩んでいるのがわかってしまうようで心配されてしまった。なんでもないと笑って誤魔化すと兄様は納得していない顔で頷いて、それから何も言ってはこなくなった。
*
「ねえ私、兄様のこと大好きなの」
私は兄様の傍らにしゃがみこみ、なんとなく言ってみた。ここは御殿の裏にある庭だ。この場所には果樹が自生していて、果物を採るためによくやってくる。
「おれもヤミーのこと大好きだよ」
兄様は無花果の実を採りながら言った。今まで何十何百と繰り返されてきた受け答え。でも、何か違う。私が本当に伝えたかった意味は今までの「大好き」じゃない。けれどこの気持ちを正しく何ていうのかわからない。わからないからとりあえず一番近い言葉で伝えようとしてるのに、一向に兄様は気付いてくれない。もどかしすぎてどうにかなってしまいそう。
この前も我慢できなくなって抱きついたら、笑って頭を撫でてくれた。でもね違うの。兄様は今までと同じように、風や草木や水を抱き締めるように返してくれただけ。私が欲しいのはそんなのではなくて、私のためだけの抱擁なの。
言葉で伝えるにしても行動で伝えるにしても、何か変えなきゃいけないのかもしれない。そうだ、名前で読んでみるのはどうだろう。兄様じゃなくって、ヤマ、って。
不意に、無花果の木に一羽の小鳥が舞い降りた。と思ったら木の葉の間からもう一羽の小鳥が頭を出した。
「ああ、小鳥の夫婦だね。卵を温めているのかな? ヤミー、ちょっと立ち上がって見てみなよ。雛はいつ生まれるのかな」
――夫婦――雛――子供――。
そのときようやくピンと来た。全部がすっと一つにつながる。
私は勢い良く立ち上がった。
「ヤマ」
兄様は驚いて私を見た。そういえば名前を呼んだのは初めてかもしれない。
「私、ヤマの子どもが欲しいの」
どさどさと兄様が手に持っていた無花果が草の上に落ちる音がした。兄様は私を見たまま硬直している。
「え? な、なに?」
聞き間違いなんかじゃあないのよ? もう一度言ってあげる。
「私、ヤマの子どもが欲しいの」
私が一歩前に踏み出すと、兄様は一歩後ろへとあとずさった。
兄様は混乱しているのか、すごくおもしろい顔をしている。こんな表情初めて見た。
「……ヤ、ヤミー、寝言は寝てから言おうね」
冷や汗を流して口をぱくぱくさせて絞りだされた言葉がそれだった。私は憤慨して、語気を強めて言い返す。
「寝てなんかいないわ、本気よ! 私は……」
すると兄様は続きを言わせまいといわんばかりに私の言葉を遮った。
「ヤミー、きっと変な夢でも見たんだよ。一度帰ろう。そうだね、ここ最近ずっと様子がおかしかったもの。きっと何か」
話の途中だったけれど、強引につながれた手を私は振り切った。
ひどいわ兄様、せっかくこの気持ちの正体がわかったっていうのに、兄様にようやく伝えることができたっていうのに、それをなかったことにしようとするなんて!
「兄様なんかだいっきらい!」
力の限りそう叫んで、私は兄様に背を向けて走りだした。後ろで私の名前を呼ぶ声がした。
*
私は森の大樹の根元に座り込んでいた。走り出したら、自然と足がこの場所に私を連れてきたのだった。その巨木は木の葉をゆったりと揺らし私を包み込むようだった。風が優しく頭を撫でる。
昔から私は、嫌なことがあったときはいつもここに来て、こうしてうずくまって泣いていた。だけど必ず、一日が終わる前には兄様が私を迎えに来て、その暖かな手を差し出して言うの。「ねえ、帰ろう?」って。
でも、今回ばかりは来ないでしょう。私を拒否したもの。私だって「大嫌い」なんて言ってしまった。兄様にそんなこと言ったのは初めてだった。
丸まっている私の足元に、無邪気な子リスが近寄ってきた。子リスはそのくりくりとした丸い目を私に向ける。
「私、何か間違っているのかしら……?」
好きなものは好き。
子リスは私を見つめながらおずおずと首をかしげた。まるで私が言ってることがわかっているみたい。その姿があまりに可愛らしくて、撫でてやろうと腕を伸ばしたとき、どこからかもう一匹の子リスが現れた。二匹の子リスはじゃれあうように私の周りを走ると、森の奥のほうへと駆けていってしまった。
私は行き場のなくなった手を引っ込めて顔を伏せた。これからどうしよう。兄様のところには戻りたくない。
こうして黙っていると自然と耳に入ってくる音が心地よい。木の葉の揺れる音、小鳥のさえずり、かすかな川のせせらぎの音。私たちが幼かったころと何ひとつ変わっていない。私自身、昔に戻ったような感覚さえ覚える。
過去の思い出が脳裏に蘇る。
そう、いつもそうだった。私が拾ってきた小鳥が死んでしまったときも、兄様と大喧嘩してきつく叱られたときも。ここでうずくまって泣いていると、いつも兄様は私を見つけ出して、まず始めに名前を呼ぶの。
「ヤミー」
私が顔を上げると兄様は優しく私に微笑んで、それで暖かな右手を差し出してこう続ける。
「ねえ、ヤミー、お願いだから顔を上げてくれないか」
違う、そうじゃなくて――……え?
「おれはヤミーのことをとても大切に思っているよ」
思わず私は顔を上げた。私の目に映ったのは幼い小さな兄様ではなくて、少し困ったような表情を浮かべる大人のあなただった。
「だから、ねえ、帰ろう?」
差し伸べられた手はあのときと同じ暖かさを持ったまま。
「……ヤマ……」
あなたの深い漆黒の瞳から目を逸らすことが出来ずに、私はその揺れる瞳をじっと見つめた。
「ヤマじゃなくて、兄様、だろう?」
いつもみたいに、困ったように微笑んだ。私の口は自然と言葉を紡ぐ。
「……はい、兄様」
あなたを恋い慕う私のために差し伸べられた手ではないのだと。私のために差し出されたその手に私の求めるものなどないと、わかっているのに、その手をとらずにはいられない。
差し出された手のひらに、そっと私の手のひらを重ねる。そのまま立ち上がって兄様に連れられて家路を歩いた。あんなことを言った後なのにそれでも優しく握りしめられて、いろんな気持ちがごちゃ混ぜになって無意識にじわりと涙が浮かんだ。
森を出たら、見張られているかのような夕焼けみたいなどぎつい朱色に照らし出されて、私はぎゅっとまぶたを閉じた。
12/06/21