#06 疑問


 

 

「ったくこれだから貴族ってのは! ろくなもんじゃねーよ! 金の上に胡坐かいてる肥え太った欲深共が、ただ金持ちだからってバカにしてんじゃねーぞ!」
 開店前の酒場で昼間からわめいているのはルシオだった。もともと気性が穏やかな方ではないが、今日はいつにも増して荒れている。
「何かあったの?」
 集合時間の十分前、セレンと共に一階へと降りてきたリリィは空に悪態を吐いているルシオに驚いたようだった。さすがに話しかけにくくて、こっそりカルメロに尋ねる。
「うーん、西の通りを通ろうとしたら、そんな小汚いかっこうの人は入れられないって追い返されたんだって。この間までそんなことなかったらしいよ」
 ルシオはことさら小汚いと言われるような格好ではない。よくいる市民の服装で、そこそこ普通の顔立ちだ。つまり“市民はお断り“という意味なのだ。通りには貴族だけが利用できる施設を集めて、一般の市民が入れないようにしているのだろう。
 確かに侮辱的で腹立たしいけど、そこまで怒るほどの理由だろうか、と彼女は首を傾げた。
「僕も貴族って嫌いです。自分たちは特別なんだって勘違いして思い上がってるんだもの。僕らを足蹴にすることをなんとも思わないで、自分たちだけ裕福に暮らしてるんだ」
 ルシオの近くに座っていたブランが、暗い顔をして彼に同意した。普段はっきりとした意思表示を避けているだけに重みがある。発端であるルシオは彼に同意を示しつつ、尚も当たり散らしていた。
 カルメロが「貴族ってそういうものなの?」と純粋な瞳で見上げてきたので、リリィは困ったような顔をして言った。
「私には何とも。人の言うことを鵜のみにしないで自分の目で見て考えなきゃ」
 わかったようなわからないような、複雑そうな顔をしながら少年は頷く。そんな二人のやりとりを見て、ブランがぼやいた。
「カルにはそのままでいてほしいな」
 この船では、船員たちの過去について余計な詮索をしないという暗黙のルールがあった。だから数年間共に暮らしてきた仲間でも、船に乗る前は何をしていたのか、お互いに知らないことの方が多い。
 カランコロンとベルが鳴り、酒場にやってきたのはエミディオだ。なんとなく重たい空気に不思議そうな顔をしたが、追及はしてこなかった。彼の前で騒ぎ立てると、また嫌味をあちこちに添えつつうるさいと叱られると思ったのか、ルシオは口を閉じた。まあ、口先はとがらせたままだったが。
「あと来てないのは、ディノと――ウィルは来ているか?」
 エミディオの言葉にみんなが周囲を見回した。
「あ、いましたよ」
 ブランが一番隅のテーブルを指差す。
「イスの上です」
 皆が視線をよこすと、ぐったりと眠り込んでいる白い鳥の姿が見えた。そしてくしゃみをひとつ。鳥ってくしゃみなんかするのか。全員が怪訝そうな顔をした。
「キャプテーン、朝だよ」
 正確には正午である。カルメロが白い鳥を揺り起こすと、眠たそうに顔を上げた。まだ寝ぼけているようで、うつらうつら、視線が定かでない。
 仕方ないなあとカルメロが抱えあげると、白い鳥は少年の中で再び目を閉じてしまった。
「キャプテン、昨日何してたの?」
 呆れ気味にリリィに尋ねるが、彼女も首を傾げることしかできなかった。二人ともこの酒場の二階にある部屋を借りているが、昨夜彼が部屋に戻ってきた様子はなかった。本当に何をしていたのかしら、とリリィもため息をつく。
 当のウィルはというと。昨夜は不本意な友人との再会を果たしたが、なんとか彼らから逃げ果せたものの、このまま戻っては再び見つかる可能性があると適当な下流域で身を隠し、明け方鳥になってから町まで戻ってきたのだった。何が潜んでいるかもわからない夜の町はずれでろくに眠れるわけもなく、さらに一晩中濡れた服を着ていたのだから風邪をひいていてもおかしくない。あの野郎、おかげでこっちは散々だ、最悪だと、独り悪態をつきまくっていたことだろう。
 そういうわけで、朝方に酒場まで戻ってきた彼は鍵をかけ忘れた窓を探し当てて入りこみ、ずっしりとのしかかる疲労感に負けて眠り込んでいたのだった。
 ただいまの時間は正午を十分ほどすぎたころ。まだ来ていないのはディノだけだ。すると扉が勢いよく開いて、ベルがやかましく鳴り立てた。
「よお、遅れてすまんな。うちのチビが放してくれなくて」
 大柄のひげを生やした中年男が嬉しそうに顔をにやけさせて入ってきた。
「お前が一番最後だよ」
 そうは言うものの、誰も彼を責めることはできなかった。航海中はずっと家族と離れ離れなのだから。
 ディノがご機嫌な様子で切り出す。
「さて、とりあえず市場に売りに行くか」
「セレンはどうするの?」
 当然の質問だ。みんなが一斉にディノを見て、ディノは彼らの視線から逃れるようにカルメロの腕の中で熟睡している白い鳥を見た。
「あー、昨日の夕方に聞いた話じゃ占い師のところに連れて行くつもりだったみたいだが」
「占い師って、前船長が行ったっていうところか」
 そうだろうな、とディノが頷く。ベラノの町はずれには、知る人ぞ知る腕のいい占い師が住んでいる。彼女は相手を見抜いて未来や運勢を予見することができるという、不思議な力を持っていた。その占い師のところにセレンを連れていけば、少女の謎――どこの誰で、どうして言葉を話せないのか、なぜ表情を変えないのか――がきっとわかるはずだ。ただし、問題がひとつ。
「占い師がいる場所を知ってるの、キャプテンだけじゃないか!」
 当のウィルは、今はすっかり夢の中だ。目を覚ます様子はない。
「別に急ぐ必要もないだろ。セレンを連れていくのは明日だって構わないだろうし、いつも通りに行こうぜ。エミディオとブランは必要品の調達を頼む。出港は一週間後で目的地はラドーネだそうだ」
「他の港には寄るか?」
「いつもの場所だ」
 するとエミディオは、あそこだな、四日分ほどか、などと指を折りながら計算を始める。
「セレンは俺たちと行くか?」
 ディノが尋ねると、少女は頷きも首を振りもせず、じっとその髭面を見つめた。
「セレンも疲れているんじゃないでしょうか。僕は少しくらいゆっくり休んだ方がいいと思います」
 ブランの言葉に、それもそうか、とディノ。あっさり引き下がったのには、右も左もわからないような子供を連れ歩いて仕事するのは不安だったという理由が隠れている。
「セレンを一人にしておくのは心配だから私も残るわ。それと、この役に立たない船長も」
 リリィはそう言ってカルメロの腕の中から白い鳥をつかみ上げた。ウィルもいつもは一緒について行って、マスコットよろしく店頭で座り込んでいたりあちこち飛びまわって様子をみたりしているが、自分で動けないのなら連れて行くだけお荷物だ。反対意見など出るわけもなく、三手にわかれることとなった。


 二人と一羽は酒場の二階の部屋へとやってきていた。部屋は簡素な造りで、家具は木製のベッドと机と椅子くらいしかない。ベッドのそばの窓は大きく開け放たれて、潮風がカーテンをからかって遊んでいる。
 木の机の上で首をすくめて眠り込んでいるのは白い鳥。すやすやと穏やかな寝息にゆっくりと身体が上下している。それをじっと見つめているのは幼い少女。気になることでもあるのか、あるいは意味などないのか、とにかく視線はどこにも逸らさない。
「何かおもしろいものでも見つけた?」
 リリィが話しかけると、セレンは顔を上げ、彼女と白い鳥とを交互に見た。
 だが、それだけだった。頷くわけでも、手を伸ばすわけでもない。ただ見つめるだけだ。リリィはそんな少女の様子を見て考え込んだ。
 そう、まるで生まれたばかりみたいだ。セレンのそれは、自分でも何がしたいのかわからない、やりたいことをするために何をしたらいいのかわからない、というように見える。
 セレンの見た目からすると十歳を超えてはいるだろう。意志を示せないような年齢ではない。カルメロだってセレンと変わらないくらいの年齢だが、表情はころころ変えるし、知らないことは多いけれど少なくとも自分で考えて行動している。普通の十二歳だ。今のセレンに比べたら、赤ん坊の方がずっと表情の変化も意思表示もできるだろう。まさか少女には意思も心もないというのか。
 深く考えるほど、不可解で普通はあり得ない状況に気がついて人知れず鳥肌が立った。彼女は何者なのだろう。
 リリィはセレンの隣にしゃがみこんで少女と目線を合わせた。
「セレン、今何がしたい?」
 セレンはじっと彼女の瞳を見つめる。
「自分のやりたいことがあったら相手に伝えよう? 簡単なことだよ。好きなことだったら頷くとか、手を取るとか。嫌いなことだったら首を横に振るとか。そうしたらみんなもっとあなたのことを知れるから」
 だからやってみてね、と添える。少女は相変わらずじっとリリィの顔を見つめ返しただけだった。
 リリィもすぐには無理かな、と眉を下げる。
「暇だねえ」
 室内でできることといったら何だろう。読書か、音楽か、お絵描きか……。セレンくらいの年の頃、自分は何をして遊んでいただろうか、と記憶を掘り起こす。お人形遊びとかおしゃれとか、女の子らしいことにはあまり興味がなかったように思う。むしろ海の世界に憧れて、親には困った顔をされていたっけ。
 そういえばこの酒場では稀に余興として曲を演奏することがあった。楽器はどこかにしまってあったはず。もうしばらくしたらマリサがお店の準備のためにやってくるだろうからそのときに借りることができるか聞いてみようか。
「セレン、竪琴でも弾いてみない?」
 何の反応もなく、何も映さない瞳でただ見つめられるだけだと、まるで心の奥を覗かれているような奇妙な感覚に囚われる。リリィはほの暗い不安を振り払うように「きっと楽しいと思うよ」と付け加えると、青空に抱きしめられて上機嫌なベラノの町を窓から見下ろしてマリサの姿を探した。


 それから少し後に酒場の女主人は姿を現した。
 マリサに楽器を貸してもらえないか尋ねたところ「別にいいもん使ってるわけじゃないんだから許可なんていらないよ」などと笑われながら心よく貸してもらうことができた。そして二人で慣れない手つきで音を鳴らしてみる。
 もしかしてセレンはいつものようにじっと見つめているだけではないかと心配していたが、意外に興味をひかれたようだった。リリィは密かに胸を撫で下ろす。
 少女は弾き方を教わると、恐る恐る手を伸ばして弦に触れる。ぽろんと飴玉みたいに音が転がり落ちると、少女の表情が微かに変化した。小さな子供が初めて見る生き物を目の前にしているような顔つきで、竪琴を眺める。それから音を一つずつ、確かめるように鳴らしていって、音が転がり出すたびに新しい発見をしたような顔をする。
 数本の弦を一緒に弾いてみてやわらかに音が重なると、海が水面を輝かせるみたいにぱっとセレンの顔が明るくなった。
 リリィは驚いて息を飲む。同時に安堵した。ちゃんと表情のある子でよかった。
 ありふれた竪琴なのにあんなに楽しそうにして、見えるもの全部がきらきらして見えるのだろうか。自分が幼かったころの世界の見え方なんて覚えていない。霞んでしまったいつかの景色を思うと、なんだかうらやましくて懐かしい気持ちになった。
「とっても上手ね、セレン」
 そう褒めてやると、少女はこちらを見た。それから一瞬の間の後、なんとにっこりと微笑んだのだった。普段無表情なぶんどきりとさせられる表情の変化だった。
 人らしさがあるのはよかった。でも、さっきまで怖いくらい表情がなかったのに、どうして急に変化を見せるようになったのだろう。リリィは浮かんできた疑問を頭の中で反芻しながらこれまでのことを思い返した。そういえば、急な変化ではないかもしれない。これまでにも一度、笑ったことがある。
 ぽろん、ぽろんと音がこぼれる。隣でセレンが弦をはじいている。拙い音だけど熱心に楽器に向き合っている少女はなんだか微笑ましかった。わからないことはとりあえずよそに置いておいて、自分も少女のかわいらしい演奏会に参加することにした。
 ちなみにウィルはというと、マリサがやってきたころには目を覚ましていたが、特にやることもなかったため二人のたどたどしい楽器の音を聴きながら、つまらなさそうにベッドの上でごろごろしていた。白い羽根が数枚、ベッドに散らかる。音楽は彼の苦手分野だった。


 太陽が傾き始め、町中にろうそくのあかりの色をしたベールが被さってくる頃になると、続々と船員たちが戻ってきた。再び全員が集まった頃にはウィルもすっかり元の姿に戻っていて、今日の様子などを尋ねていた。
「売り上げは?」
「上々」
 手でお金のマークを作ってにやりと笑みを浮かべたのはディノ。
「ベラノのぶん、ちゃんと全部売れたよ!」
 隣にいたカルメロは楽しそうにピースサインをする。
「あの、船長」と声をかけてきたのはブランだ。
「例の占い師って……その、本当にわかるんですか」
 気弱な青年は信じられないとでも言いたげな不安な顔をしている。
「ああ、腕に関してなら問題ないだろう。この間行ったときは何も言わなかったのに俺の素性をスッパリ言い当てやがった。それで、明日のことだが」
 ウィルはくるりと向きを変えて全員を見渡した。みんな話を止めて青年を注目する。
「セレンを占い師のところに連れて行こうと思う。ベラノに住んでるといっても結構歩くんだ。昼の間に近くまで行って待機して、日が沈んだら占い師の家に行こうと思う。日中セレンを一人で歩かせるわけにはいかないから同行者が欲しいんだが、ルシオ、頼めるか」
「仕方ねーな。どうせ暇だしな」
「他のみんなは明日は自由にしていい。ルシオも俺がこの姿に戻ったら帰っていいぞ」
 ルシオは少し驚いて、声を上げた。
「二人だけで行くつもりなのかよ」
「大勢で行っても意味はないし迷惑だろ。この中で場所を知ってるのは俺だけだしな」
 ウィルの説明に、ルシオは納得しきっていないという顔をしていたが、反論する理由もなかったのか素直に頷いた。
「じゃあ明日の夜、八時にこの部屋に集合だ」
 その言葉をきっかけに再び部屋はざわめき始める。皆、明日にはセレンの身元がわかるのだと仄かに期待を寄せ、その場は一時解散となった。



(120927)









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