からりと晴れた気持ちのいい天気の下、ウィルたちが乗る船はとある町の船着き場へと船を泊めた。ここはそこかしこで活気が溢れている、陽気な町ベラノだ。
船着き場近くの海鳥たちは、ベラノを訪れる航海者たちへ挨拶代わりに一声送る。桟橋には既にいくつかの船が停泊しており、空っぽの船は、ときどき海鳥を頭に乗せて、のんびりと波に揺られながら一息ついていた。
桟橋に白いペンキで三番と書かれている場所の前で船は碇を下ろした。
桟橋の向こうには木造の簡素な建物がひとつ建っている。大きくはない屋根が数本の柱に支えられているだけの構造で、ずいぶん開放的だ。屋根の下で椅子の背にもたれかかって新聞を読んでいた初老の男が、船に気付いて顔を上げる。小柄でやせている男は脇の小さな机の上からよれよれのノートとペンを取りあげ、新しく着港した船の方へとやってきた。
この船着き場では停泊した船や責任者の名前、目的などを記帳して、寄港者を記録している。
ディノがこちらへ歩いてくる男を確認すると、ちょっと行ってくると言い残して下ろした梯子から桟橋へと移った。他の船員たちは積み荷を倉庫部屋から甲板へと移動させながら各々適当に返事を返す。今回仕入れてきたのは緻密な模様があしらわれた食器や花器、繊細だが重厚な装飾品、刺繍のほどこされた布地など、どれもこの辺りでは珍しい色形で異国情緒が漂うものばかりだ。
新たな着港者がディノたちだとわかると、老人は仕方ないと悪がきを見守るような笑顔で顔を綻ばせた。ディノも仲良さげに片手を挙げて挨拶する。ここの船守の老人とは彼らが渡り屋を始めたころからの付き合いで、何かとよくしてくれる、彼らの理解者の一人だった。
「ねえ、いつも思ってたんだけど、どうして名前が必要なときはキャプテンじゃなくてディノなの? そりゃ今は書けないだろうけど」
係員から渡された帳面に名前を書きこんでいるディノを船の上から見つめて、カルメロはリリィに尋ねた。
「ウィルは昔捕まったでしょ?」
「うん。それで逃げてきたんだよね」
「そうそう。だから今度騎士団に見つかったらまた捕まえられちゃうわけ」
カルメロはそこまで説明されると何かひらめいたようで、納得したような顔をした。
「あー、足がつかないようにしてるんだ。それってぼくらは大丈夫なの?」
「ウィルがどの船で誰と”渡って”いたかはわからなかったみたい。日中はウィルも鳥の姿だし、滅多なことがない限り大丈夫じゃないかしら」
それならよかった、と笑顔で返すと、奥手からエミディオがセレンを連れてやってきた。
「おいカルメロ、セレンに服を貸してやれ。ドレスじゃ目立つし動きにくいだろう」
少年は元気よく返事をして二人の元へ駆け寄ると、それを見たウィルも翼をはためかせてセレンの肩に乗った。カルメロが何事かと首を傾げると、その鳥はセレンがつけている首飾りをくわえて小さく引っ張るのだ。そのあとカルメロの腕に飛び移って彼のポケットをつつく。
「それも取れって? それで、えーとポケットに入れる?」
すると満足げに一声鳴いて床へと飛び降りる。僕、鳥の言葉もわかるようになってきたかなあ、などと呟きながら二人は船室へと入っていった。
白い鳥は日の光を浴びて輝く首飾りを見つめながらその背を見送る。そして船の手すりに飛び上がると、思いを馳せるように遠い水平線の向こうを眺めた。
彼らが利用した船着き場は街の外れにある。船から降り、しばらく小道を歩くと道幅の広い大通へと出た。石畳の街路には所狭しと建物が並び、多くの人々が行き来している。飲食店や服屋、道具屋などのお店があちこちにあるようだ。それらの看板や飾り窓は人々の注目を集めようと競って主張し合っている。
賑わいに気を取られつつも、とある建物の前で彼らは立ち止まった。小さな看板には『酒場アシェスパルセ』の文字と酒が注がれたグラスの絵が描かれている。店も営業時間もろくに確認せずに、ディノは思い切り扉を開け放ち、船員たちもぞろぞろとその後に続いた。
「よっ戻ったぜ」
小ぢんまりした扉に反して、中はそれなりに広かった。開店前なのだろう、使い古して年季の入ったテーブルやイスに人の姿はない。古ぼけて黄ばんだ小さなシャンデリアが質素な部屋を飾り立てている。明かりは灯されておらず、窓から差し込む太陽の光に包まれながら、その居酒屋は静けさの中で眠りについていた。
「あらァお帰んなさい」
薄暗い部屋の奥、カウンターでグラスを拭いている女性が彼らに気付いてその手を止めた。年の頃は三十いくつといったところか。なかなか丈夫な体型で黒髪は短く、気さくな笑顔と快活なよく通る声は彼女の活発で勝ち気な性格を伺わせる。
「今回はけっこう早かったじゃないの」
女性はグラスを置いて彼らの方へと歩み寄り、一人ひとり顔を覗き込んでお帰りと微笑む。
「あんたたち、相変わらずでよかったわあ。ウィルも相変わらず、かわいい姿だこと」
ディノの肩にとまっている白い鳥はふてくされたようにふいっとそっぽを向いた。そんな彼を笑いつつ、女性は腰に手を当てて一息つくと、セレンを見つめて言った。
「で、その女の子は? あんたたちまた拾い物したの?」
「まあ間違っちゃいないがなあ。ちょいと事情がややこしくて」
「何言ってんだい、いつもあんたたちの持ちこむものはやっかいじゃないか。それでどういうわけ?」
「マリサ、この子は海で小舟に流されているところをウィルが拾ったの。だけど意思疎通が何もできなくて、私たちはセレンって呼んでるんだけど、この子のことが何にもわからない状態なのよ」
リリィがそう説明するとマリサはなるほどと少女をまじまじと見つめた。相変わらずの無表情だ。
「しかもさ、水がかかると魚になっちゃうんだよ」
ひょいと横から口を出したのはカルメロだ。
「魚? それはちょっと変わってるね。船長殿の仲間かい?」
そう言うと、マリサはまるでなんでもないことのように笑った。
「まあ次の航海までゆっくりしていきなよ。空いてる部屋は好きに使っていいからね」
彼女は副船長ディノの奥さんだ。旦那と滅多に一緒に暮らせないような状況で、女手ひとつで子育てと酒場の経営をやってのける強さと、船員たちを自分の家族のようにあたたかく迎え接してくれるおおらかさを持つ女性であった。彼らが根無し草とならずに済んだのは、ひとえに彼女のおかげかもしれない。
荷物を店の奥へ運び入れると、ディノがみんなを見渡して告げた。
「じゃあみんなも疲れてるだろうし一旦ここで解散しよう。明日の正午、またここに集合だ」
その言葉に返事をすると、各々好きなように散らばっていく。ある者は自分の家へ、ある者は街中へ、ある者は空き部屋へ、というように。
特に行く先もなく、手持無沙汰に酒場に留まったリリィに、マリサが小さな小包を持ってきた。
「リリィ、あんたに届け物。毎度毎度、送り主はなかなかの心配症ねえ。リリィもたまには帰って顔見せてあげたらどうなの」
「ふふ、航路を決めるのは私じゃないもの。それに顔なんて見せに戻ったらどうなることか」
くすぐったく笑ってその包みを受け取る。送り主の名は、彼女の父親。彼女が危険の伴う渡り屋をやると申し出たとき、最も批判的だったのが父親だった。最終的に渋々ながら了承したものの、それはリリィが許可してくれなければ縁を切ると迫ったからだった。娘を溺愛していた父親にとって、苦渋の選択だっただろう。こうして贈り物が届くのは当たり前と言えば当たり前で、娘を連れ戻しに押しかけに来ないだけましである。
この包みの大きさなら中身はきっと、手紙とお守りか何かだろう。手紙はいつも分厚くて、最後は必ず『いつでも戻ってきなさい』と締めくくられる。
「お、この白い花、また届いたのか」
店内の在庫品の確認をしていたディノが花瓶に活けられた一房の白い花を見つけた。ひと茎に大きな花が数個、これでもかと咲き乱れている。
「そうなの。そっちは相変わらず送り主はわからないのよねえ。花の名前はこの間お客さんから教えてもらったんだけど、なんだったかしら」
ぼけるのはまだ早いぞと茶化されるとマリサはたまたまです、とむきになった。そしてそうだ、と思い出したように付け足す。
「この花、思いやりとか愛の絆って意味があるんだって」
ディノはそうなのか、とあまり興味無さ気に相槌を打つ。その横で、白い鳥は零れ落ちそうな真っ白な花を静かに瞳に映していた。***
夜、酒場も営業を始め、客でにぎわっているころだ。ろうそくの橙色の炎が店内をあたたかく照らし出し、客たちは酔って上機嫌に笑っている。
人の姿に戻ったウィルはカウンターに座ると、マリサにウィスキーをひとつ注文する。彼女はすぐにグラスを持ってきた。琥珀色のお酒は大きな氷とグラスに映ってきらきらと多彩な変化を見せている。
「ベラノでも何か売っていくんだろ? あんたのとこの渡り屋はセンスが良いって評判なんだよ」
「そいつは嬉しいなあ。どうぞご贔屓に。ところでマリサ、ここ最近リーチェで変わったことや騒ぎはなかったか?」
「うちの国じゃなくて、リーチェでかい? うーん……。物価が高騰してきてるってのと、向こうじゃ最近風邪が流行ってるってことくらいかねえ。お城でも風邪ひきがひどいんだって。王子様もお姫様も寝込んじゃって、しかもなかなか治らなくて大変らしいわよ。そのくらいじゃない?」
情報通の彼女がそう言うのなら間違いないのだろう。ウィルはそうか、と呟いてグラスに口をつけた。氷が気持ちのよい音を立てる。
「あんたが何でこんなこと聞いたか当てたげる。――セレンのことだろう。あの子、見た目は確かにリーチェ人だものね。青い髪に金色の目。でもさ、それはウィルだって同じだろう? 最近国を超えた結婚も増えたもの、見た目なんて当てにはならないでしょ」
「……いや、見た目以外に思い当たることがあるんだ。でもそれを、みんなに言うか迷ってる」
「ディノかリリィにくらい相談したらどうなの」
「ああ。今の話を聞いて、相談することに決めたよ」
マリサは訝しげな表情で首を傾げたが、ウィルはそれ以上何も言わなかった。
「ディノとリリィがどこにいるか知ってるか?」
「うちの旦那なら私に構いもしないで家で娘と遊んでるよ。リリィはさっき外に出て行ったのが見えたけどねえ」
「そうか、ありがとう。マリサ、セレンのことは絶対に誰にも言うなよ。――じゃ、ご馳走さん」
彼は至って真剣な顔をしてそう言い残し、グラスの酒を飲み干すと、カウンターに自分が飲んだ酒代を置いて席を立った。マリサは呼び止めようとしたが丁度よく他の客に声をかけられ、それは叶わなかった。注文を取る横で、扉につけたベルがカランと鳴った。
夜の潮風が人通りの少なくなった街を撫ぜる。昼はせわしなく活気に溢れているベラノも夜になると外を歩く人はだいぶ少なくなり、代わりに家々に穏やかな光が灯され街はゆったりとくつろぐ。海や水路には色のついた街の影絵が幻想的に揺れ、知らない別の世界が目の前に広がっているかのような錯覚にとらわれる。
ウィルはそんな情景を眺めながらどの道を行けばよいか考えていた。ディノの家はどこにあるのかしっかり聞いておけばよかったと少々後悔しつつ、おぼろげな記憶を頼りに歩く。確かこの橋の向こうだったはず。首を傾げつつ、橋の中腹を歩いていたころだった。
「お前――まさかウィルか!?」
突如、背後から声をかけられ、彼は足を止めた。聞き覚えのある若い男の声だ。
「……人違いだ」
ウィルは振り返らずにそれだけ言って足早に去ろうとしたが、そう簡単に見逃してはくれなかった。
「嘘つけ、騙せると思うなよ」
男は走って彼のすぐ真後ろまで追いつくと、強引に肩をつかんで振り向かせる。ウィルも観念したようで、ため息をひとつこぼして青年に向き直った。ピンで前髪をちょこんと留めており、服を着崩していて少々だらしない印象を受ける青年だった。
「……久しぶりじゃねえか、アルベルト。何でこんなとこにいるんだよ」
困ったような声色でウィルは話しかけた。
この赤髪の青年はアルベルト・ヒュマタイア・バレットという。現在は王国騎士団に所属しており、国王を主君として剣を捧げ、王国と国民を守る立場の者だ。彼らは幼いころからの友人でよく一緒に遊んだり喧嘩をしたりしていたが、ウィルが渡り屋を始めたときからさっぱり顔を合わせなくなっていた。そもそも国の管理をかいくぐって貿易を行う渡り屋は騎士団に追われる場合が多いので、まあ当然の話である。
こうして会うのは数年ぶりなのだが、感動の再会というわけではなくアルベルトは眉間にしわを寄せてウィルを眺めた。顔には”怪しい”と大きく書かれている。
「それはこっちの台詞だ。お前、悪いことして魔女のとこに送られたんじゃなかったのか」
「親切な小間使いさんが外に出してくれたのさ」
笑ってウィルが答えると、彼は呆れたものだとため息をついた。
「つまり逃げ出したんだろ。まったく、よくやるぜ。――でも、それなら逆に大きなチャンスってわけだ」
「チャンス?」
アルベルトは腰に提げていた剣を勢いよく抜いて構えると、彼に向かって勇ましく吠えた。
「てめえには聞きたいことが山ほどあるんだよ! 俺が捕まえて全部吐かせてやる」
「へえ、アル、お前に俺を捕まえられるかな? 一度も勝ったことがないくせにどの口が言ってやがるんだ」
「俺がいつまでもあのころと同じだと思うなよ」
ウィルも自分の剣を構え、突っ込んできた彼の一振りを受け流した。振り上げ、打ち合い、かわし、攻防は続く。
何度目かの打ち合いのとき、衝撃に耐えきれずアルベルトの剣が彼の手から離れた。それは空を切り、カランと音を立てて十歩ほど先に転がった。
「今回も俺の勝ちだな」
アルベルトは剣を突き付けられて悔しそうな顔で唸った。
「くそっ……」
「どうしてアルがここにいる? ベラノはお前の隊の管轄外だっただろ」
「俺だってなあ! 好きでこんなとこにいるわけじゃないんだ!」
赤髪の青年はふてくされて喚き出す。
「じゃあ何でだよ」
「隊長の人探しを手伝わされてんだよ!」
「人探し? 一体誰を――」
「そこまで」
突如ひとつの声がその場に響き、二人を制止させた。カツカツと靴を石畳に鳴らし、マントをなびかせ暗闇から現れたのは、柔らかそうな黒髪に、黒い瞳を覗かせる男性だ。
「アルベルト、悪行三昧な渡り屋風情に口を滑らすんじゃない」
「ロランドさん」
ロランドという名の男は二人のそばまでやってくると足を止めた。その仕草からはどことなく気品が溢れている。
「……へえ、こいつお前の上官だったのか。何から何まで最悪だぜ」
苦い顔で舌打ちしたウィルに、男は笑いかけた。
「おや、どうやら私の顔は覚えているようだね。森の魔女から逃げ出すとはなかなかの強運だ。だがまさか、二度も君を捕まえることになるとは」
「もう二度と捕まりゃしねえよ、エセ紳士」
エセ紳士、という言葉にアルベルトは納得した顔で大きく頷いていたが、それを見た男がさながら獲物を狩る獣のような顔で口元に笑みを浮かべて彼を睨むと、アルベルトは小さく悲鳴を上げて縮こまってしまった。
以前ウィルたちは、正式な認可を受けた医師以外の持ち運びが禁じられている薬草をちょろまかし、製薬して他国で売ったことがあった。そのときに、窃盗と密輸という罪状で追われたウィルを捕まえたのがこの一癖も二癖もある騎士団員である。どうやらアルベルトが所属する隊の隊長らしい。
「己の犯した罪を忘れてはいないだろうね、ウィルフレド・ラカイト・カカット」
ロランドはウィルへと向き直ると、抜刀した剣を真っ直ぐに彼へ突き付けた。
真を問うかのように正しきを語るかのように、剣先は白銀に煌めく。向けられた真っ直ぐな瞳をウィルはへらりと笑ってかわした。
「そいつは誰だよ。俺は渡り屋のウィルだぜ」
「そういうの、嫌いだよ」
ロランドは忌々しそうに低い声で吐き捨てた。
「カカット家のお坊ちゃんが、今度は脱走だなんて嘆かわしいね。窃盗に密輸に、これ以上どんな泥を塗るつもりだい」
「――あんた、しつこい男は嫌われるぜ」
「これはご忠告ありがとう。でも人の心配をしている場合じゃないだろう」
ロランドは嘲笑を浮かべると、勢いよく地を蹴りウィルに斬りかかった。
「安い挑発、ご馳走さまだ」
ウィルも剣を構え、それを受け止める。鋭い金属音が響き、二人の間で激しい攻防が始まった。伯仲した剣撃がしばらく続いた後、片方が飛びのいて間合いを作った。やれやれと言うようにロランドはため息をつく。
「その様子じゃきみは反省していないようだね」
「簡単に後悔するような覚悟で動いちゃいねえよ」
先ほどからウィルは剣を交えながらさり気なく周囲の様子を伺っていた。石造りのアーチ状の広い橋の上。赤茶色のレンガで組まれた欄干は高くはなく、登れないことはない。真下には川が流れ、小舟が何艘かロープに繋がれて揺れている。少し奥に街灯がひとつ佇んで三人を照らしていた。
「非合法な薬を売って、調合を間違えていたらどうするつもりだった。何十人もの人生を奪うことになっていたんだぞ」
「そんな主張、もう耳にタコだ」
「誤魔化すつもりかい」
一度取った間合いを、ロランドは一気に詰めて斬りかかってきた。なんとか受けたが、先ほどより重みも早さも増している。
ウィルにも剣の心得はあるものの、さすがに一介の渡り屋が現役騎士団隊長を打ち負かすには無理がある。隠し持っているピストルが脳裏に浮かんだ。一般人の使用が禁じられているものを使ってますます目をつけられたくなかったが、ここで捕まるわけにはいかない。猛然と襲い来るロランドの剣をすんでのところでかわし、受け身を取って崩れた体勢を立て直す。その際彼との距離を取り、剣を持っていない方の手を上着の下へと滑らせた。そのまま隠していたピストルを抜き取ると、ロランドの右斜め後方へ照準を合わせる。
「! 何を――」
次の瞬間、発砲音が響き、続いてガラスが割れる音が聞こえた。途端に周囲が暗くなる。思わずロランドとアルベルトが後方を振り返ると、そこには銃で明かりの部分を撃ち抜かれて機能を果たさなくなった街灯があった。
ロランドは舌打ちしてウィルへと向き直る。しかしさっき彼がしゃがんでいたところには誰もいない。どこだと視線を彷徨わせると、すぐに男は見つかった。橋の欄干の上で剣を腰に収めているところだった。
「じゃあな」
ウィルは二人へ向かって憎たらしく微笑みを浮かべたかと思うと、ロランドが駆け寄るよりも先に、勢いよく川へと飛び込んだのだった。
それから少し遅れてロランドが欄干から下を覗きこむ。ウィルは少し下流で川岸に繋がれていた小舟に乗りこみ、小舟を繋ぎ止めていたロープを切ったところだった。あとは川の流れに任せるだけ。
「逃げられたか」
アルベルトも走って欄干へとやってきて、小さくなっていく旧友を見つめて悔しげに歯がみした。
「追いましょう」
ロランドは疲れた顔をして剣を鞘に収めた。
「無駄だろう。次に会ったときは一番始めに脚を撃ち抜くべきかな」
「えっ、でも、俺たちだってそんな簡単に使えるものではないんじゃ」
「冗談だよ。ところでアルベルト、なぜ手を出さなかった」
青年は一瞬固まる。
「え。……っとお、邪魔になるかと思いまして」
「お前は加勢して邪魔になる程度のことしかできないのか」
「そんなこと! は、ない……です……」
威勢よく言い始めたのはよかったが、後になるとどんどん声がしぼんでいき、後半はほとんど聞こえないほどだった。そんな彼にロランドは小馬鹿にしたような目線を送る。
「お前が私を似非紳士だと思っていたなんて、知らなかったな」
「あ、いやそれは」
慌て始めるアルベルトを横目で睨んだ。
「この後基礎練を十セット、直々に鍛えなおしてやる」
そう容赦なく吐き捨てると颯爽と彼に背を向けて歩いていってしまった。今にも血を吐きそうな青い顔で、それでも待ってくださいとアルベルトは鬼の隊長の背を追ったのだった。
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