#03 予想


 

 

 翌朝、彼女はベッドの中でゆっくりと目を開けた。時間になれば自然と目が覚めてしまうのだ。彼女はむくりと起き上がり、身体をほぐすように背伸びをした。船室内はカーテンが朝日を閉め出しているためにずいぶん薄暗い。カーテンの裾をつかんで思い切り開けると、部屋全体に光の粒が飛び散った。まぶしい朝日が寝起きの目にしみて、思わず目を細めた。
 そのとき、光に包まれてぼんやりした視界の端で何かが動いた。不審に思ってそちらに目をやる。そこにあったのは、長い水色の髪を持て余し床の上に座り込む少女の姿だった。リリィはぽかんと口を開けた。
「……お……はよう……セレン」
 そこからなんとか絞り出せた言葉はこれだった。驚きにすっかり目も覚めてしまった。少女は、目を丸くして呆然としているリリィに対してもやはり無反応だった。
 バケツが倒れて床に水がこぼれている。彼女の手には水がいくらかかかっていたが、何も変化はないようだった。


 船員の食事管理を任されているエミディオは、ひとり早起きをして全員分の朝食を用意している。毎朝船員たちは目が覚めて着替えなど各々準備を済ませると調理場の隣の部屋に集まり始め、コックを手伝ったり雑談をしたりしている。
 今朝最初にやってきたのはカルメロだ。プラチナブロンドの髪が朝日を反射する。
「おはよう、エミディオ」
「おはよう、早いな」
 コックは、にこりと笑って挨拶をしたカルメロをちらりと見て、その気難しそうな顔を崩さずに答えた。
「エミディオの方がもっとね。ねえ、ぼく考えたんだけどセレンの歓迎会なんてやったらどうかな」
「歓迎会?」
「そう。部屋を飾りつけて、ごちそうを食べて、歌でも歌ったらいいんじゃないかなって」
 エミディオは手元から目を離さない。彼の手元でりんごが八つに分かれた。
「まあ、料理なら作るが」
「ほんと? それならぼく、みんなにも聞いてみるね」
 光を映した水しぶきのようにぱっと顔を輝かせて、少年は走って出ていってしまった。
「……魚の歓迎会?」
 それから少し遅れて、コックは首を傾げた。


 カルメロは同意を求めてあちこち船内を駆け回り、夢の中の彼らをわざわざ起こしていった。
「ねえ、夕食の時にセレンの歓迎会をしようよ。役割分担は、キャプテンとディノとエミディオが料理担当で、セッティングはブランとリリィとぼく。ルシオは掃除と準備中のセレンの話し相手をやってね。わかった?」
「ああ……うん……そう……」
 彼らはカルメロの話に寝ぼけ顔で頷くと、再びその意識をやわらかい毛布へと手放していったのだった。
 少年が最後にやってきたのはリリィの船室だ。入ってもいいかと尋ねると、どうぞと返事が返ってきた。
「おはよう、リリィ……あれっセレン、元に戻ったの?」
「おはよう。そうなの、ついさっき。たぶん朝日のおかげね……」
 彼は不思議そうな顔でセレンを眺めて、彼女にも同じように挨拶をする。少女からの反応はなかったが、少年がそれを気にする様子はない。
 カルメロは軽やかにリリィの元へ走り寄ると、しゃがんでもらえるようにお願いして、セレンの目を気にしながらこっそりと耳打ちした。
「いいんじゃないかしら、楽しそう」
「それじゃあ、リリィは暇になったらぼくとブランと一緒に飾りつけをしてね」
 彼女は生き生きと目を輝かせる少年を見て微笑んだ。


 カルメロが去ってからしばらくした後、リリィは朝食を食べるためにダイニングルームへとセレンを連れて行った。その日は珍しく既にみんなが揃っており、扉を開いてセレンと共に中へ入るとひどく驚かれ、動揺が沸き上がった。そして当たり前だが何があったと問いたてられて、空腹をこらえて今朝の出来事を説明することとなった。彼女の説明を聞いて、船員たちは不思議そうに首を傾げたり感心したりしていたが、誰かの腹の虫が騒いだのをきっかけに気を取り直して食事が始まった。
「きっと朝日を浴びると少女の姿になるのね。たぶん、水も少量なら大丈夫なんじゃないかしら。もしくは変身が解けてからしばらくは水に触っても大丈夫とか」
「海水と真水、冷水と湯でも違うかもしれんなあ。その辺はこれからの生活で調べていくしかないだろうな。でも全く水に触れられないというわけではなさそうでよかったな」
 みんなで顔を合わせて食事をしながら、リリィとディノはセレンの変身の条件について話し合っていた。
「セレンちゃんが何者なのか、俺は考えてみたぜ!」
 賑やかな中で突然ルシオが声を張り上げた。そして勝手に彼の妄想をうっとりと語り始める。
「実はあの子は魚の国の住人で、たまたま見かけた地上の世界の男に一目ぼれして魔女と声と表情を引き換えに人間にしてもらった! 水を被ると一晩元の姿の魚になってしまうという制約付きで! その魚、誰に惚れて海の上の世界にやってきたと思う? よおく聞けよお前ら、……そう、この俺に恋をして、だ! どうだい、セレンちゃん」
「馬鹿な話は大概にしなさい。耳が腐る」
 心底嫌そうな顔をして言い放ったのはエミディオだ。
「なんだとジジィ」
「お前のくだらない長話に付き合っていられるほど心は広くないのでね」
 食ってかかるルシオには目もくれず、エミディオはパンを口に運ぶ。ウィルもエミディオと同じことを感じたのだろう、エミディオの言葉が終わると同時に小さな脚による蹴りがルシオの後頭部に入った。
「何しやがんだこのくそ鳥……!」
 鳥といえども痛いものは痛い。ルシオは頭を押さえてその鳥をつかみかかろうとしたがひらりとかわされ、別の席へと移ってしまった。
 今度はカルメロが目を輝かせて話し始めた。
「ねえねえ、ぼくも考えてみたよ! こんなのどう? セレンは亡国のお姫様で、国を滅ぼされた復讐をしに行ったんだけど、返り討ちにあって呪いをかけられて小舟で流された! あんな小舟で、しかも何も積んでなかった理由にもなるでしょ?」
「まあ、ルシオの話よりは現実味があるがな……」
 少し首をひねって答えたのはディノ。
「なにを、チビがそんなおどろおどろしい妄想すんじゃねーよっ」
話を聞いているうちに楽しくなってきたようで、今度はブランがフォークを持ったまま口を出してきた。
「もしかして、ただの平民だったけどその美しさを見染められて王子様に召し抱えられたのかも。それで、不満に思った人々が彼女に魚に変身してしまう魔法をかけて小舟で流してしまった、とか」
「ブラン……お前は占い師か! 一番あり得そうだぜ!」
 ルシオが興奮して身を乗り出す。カルメロも歓声を上げ、その場は大盛り上がりだ。
 リリィはりんごを一かけ取りながら、そんな彼らを諫めた。
「ばかね、そんな夢みたいな話はそうそうないの。期待なんてしちゃだめよ」
「そんなのつまんないよー」
 ルシオとカルメロは不満げに口をとがらせた。当の本人であるセレンは、そんな彼らの様子を静観しつつ、もぐもぐと目の前の食事を消費しているだけだった。
 朝食を取り終わると、船員たちは各々自分の仕事へと移っていった。今日も空は快晴、暖かくてお昼寝日和。


(120107)









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