それからいくらか経って、すっかり部室での勉強会が定着してきた頃だった。高文がある提案を投げてきた。 「いつも数学教えてもらってなんか悪いし、俺もよかったら理仁がわかんないとこ教えるよ? 国語英語歴史政経、なんでもござれ」 わからないところがあったら先生に聞きに行くのが俺のスタイルだったから、別に教えてもらう必要なんてなかった。だけど気まぐれで、高文に教えてもらうのもおもしろいかもなんて思った。 「じゃ、現文。この間の模試の大問二の問八」 「オッケー」 すると高文はどことなく嬉しそうな様子で重たい鞄の中から模試の回答を取り出した。 高文の教えぶりは、可もなく不可もなくといったところ。わかりにくいわけではないが、先生のところに質問に行った方が身になるかなという程度。きっと高文には脳内で自己完結しているところがあるんだ。そしてそれに気付いていない。だから説明がときどき突拍子もなくて理解できないのだ。 「もしかして教え方わかりにくいって言われないか?」 「えっ」 わかりにくかった?と申し訳なさそうな顔をする。そういう気持ちにさせたかったわけではないのに、いつもやってしまう。言い回しがきっと駄目なんだ、と内心で反省する。 「いや、そういうわけじゃないけどたまに説明が飛ぶことがあるから」 高文は複雑な顔をして首を傾げた。それが何を意味するのかは当時の俺にはわからない。 「勉強教えてって言われるのはよくあるんだけど、何回説明してもわかってくれないときがあるんだよね。おしまいにはやっぱり先生に聞くからいいってさ。申し訳なさそうな顔して、俺だって悲しいって。じゃあ最初っからそっちに行ってよ、なーんて」 「ああ、俺もある」 ということは俺も同じなのだろうか。結局、勉強ができるのと教えるのがうまいのは別の能力だという話だろう。 そう言おうと思って高文の方を見ると、こいつは少し驚いた顔で俺を見ていた。 「理仁、勉強教えてなんて言われるんだ」 「俺を何だと」 「はは、コミュ力のひっくい根暗」 「殴るぞ」 「冗談、冗談」 そうやって笑顔でかわす。 一応注釈しておくが、中傷を吐かれたことに関して、高文が本気か冗談かはつかめないが、俺は全く気にしていない。前にも書いたように高文は毒舌なのだ。いや、こう書くと語弊があるか。高文は、周りの友人には決して言わないような暴言を俺に対しては躊躇なく吐き出してくる。初めのころはその差にぎょっとしたが、もはや慣れてしまった。いちいち気にしていられないし、俺も散々あれこれ言っているからおあいこなのだ。むしろ言葉選びに気を使わなくて良いので楽といえば楽だった。 ところで、ふと思い当たったことがある。 「高文、数学がわからないなら俺じゃなくて先生に聞きに行った方が有意義だろ」 何で俺に聞きにきたんだ。 そう問うと、高文はきょとんと目を丸くした後、うろたえたように目線を彷徨わせた。 「今だから言うんだけどさあ」 バツが悪そうに切りだす。 「ま、口実だったんだよね」 「何のだよ」 「お前、一から十まで言わなきゃわかんないの?」 「知るか。俺は小説家じゃねーんだぞ」 結局高文は、何の口実だったのかを教えてくれることはなかった。 答え合わせなんてもうできやしないが、今ならあいつの言いたかった答えがわかる気がする。 |
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5,とりとめのない話
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恒例となった勉強会でこんな話をしていたことがある。 「文系でなれる職業のトップって何かなあ? 政治家? 弁護士? 外交官?」 高文はシャーペンをくるくると弄りながら質問をしてきた。あのときもこいつバカだなと思ったが、こうして思い出してみてもやっぱりバカだなと笑ってしまう。俺はテキトーに返事をした。 「政治家は理系でもなれるんじゃないか?」 「あは、じゃ、俺弁護士になろっかな。カッコイイし」 まるで今日の晩ご飯のメニューを決めるかのように言う。そんなに簡単になれる職業ではないはずだが、何でもそつなくこなす高文のことだ。彼ならいつものように涼しげで胡散臭い笑顔をばら撒きながらすんなりと弁護士バッジを手に入れるのだろう。そう思わせるものが彼にはある。 「お前に弁護される人がかわいそうだな」 「どういう意味だよ。そういう理仁はなりたいものってないの?」 「俺は大学の教授かな」 「医者じゃないんだ」 「研究したいからな」 「ふうん。理仁みたいな教授に講義してもらう生徒がかわいそうだな」 「おい」 何事もなかったかのように笑みを浮かべる。楽しそうに、悪戯っぽく。 「だって、頭固いし、対人関係苦手だし」 「そういうお前は依頼者から信頼を得られそうにないがな」 言ってくれるね、とギラリと目を光らせる。お互い様だ。 「俺たち、なりたいものが逆ならよかったんじゃない? 理仁が弁護士とか、真面目できっちりしてそう」 「高文が研究してるっていうのは全っ然想像できないけどな」 「ええ、じゃあ俺、何が向いてるの?」 むむ、と言葉を詰まらせて考えてみる。こいつに似合う職業。 「……芸能?」 「勘弁してよ」 しかしそこまで的外れでもないような気がした。顔立ちは整っているし、コミュニティ力高いし、図太そうだし。だって、彼のことだ。数学以外は何だってそつなくこなしてしまう彼のことだから。 『図太そう』のところまで伝えると、褒められた、と喜んだ。 図太いは褒めたつもりじゃないんだが。こういうところが憎めないんだよなあと頬杖をつきながら彼を見る。 無機質な蛍光灯の光の中で、茶色でふんわりウェーブのかかった髪が透き通る。数学を理解する頭脳以外の全てを兼ね備えたやつ。うらやましくて憎らしい、文系トップの俺の友人。 「俺、たまにお前のことぶん殴りたくなるんだわ」 「暴力はんたーい」 てか今の、文脈おかしいだろ、なんてツッコミを入れつつ高文は数学のワークとにらめっこしている。先生から出された課題だ。 「でもさ、理仁には研究職、向いてると思うよ?」 「何でだ」 んー、なんて間延びした声を出す。彼の視線はワークの上を右往左往している。眉間にしわを寄せて声を喉に詰まらせる。 うーん。険しい顔をして教科書をめくり、今度は教科書とワークを行ったり来たり。 「わかんない」 「根拠もないのに適当なこと言うなよ」 「ちがくて、数学、わかんない」 「……どこだよ」 「いやほんと、理仁がいてくれてよかったなあ」 そう言って、教えてくれと言わんばかりに真っ白なページを広げて、当たり前のように俺に向かって突き出してきた。 こいつ、数学、何でここまでわかんねーんだよ。 俺が勉強できなかったら、高文と仲良くなることもなかっただろう。俺もバカだな、と思う。数学ができる頭でよかった。 |
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6,新種の毒
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高文がしばらく囲碁部に顔を出さなくなったことがあった。 |