1,神様は不公平 
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 文系で主席に居座り続ける高文(たかふみ)と、同じく理系で主席の座を譲らない俺、理仁(まさひと)は友人だ。
 人を見下ろすのに慣れてしまった俺たちは、人には決して言えないような思いを共有できた。
 ぽろりと口にしてしまえば最後、傲慢で世間知らずの嫌なやつと評される水銀のようなそれは、まだ未熟な男子高校生が心の中に秘めておくだけにしては少々重く、加えて俺たちは毒性の強いそれを溜めておけるだけの耐性も持っていなくて、互いに吐き出す場所を求めていたのだ。
 出会いがどこだったかは正直なところ覚えていない。クラスが同じになったことは一度もない。ただ一年生のころから、張り出される模試や定期テストの結果の上位に、いつもあいつの名前があったから名前は覚えていた。度々校内で見かけるし、そこそこ有名人だったから顔も噂も知っていた。きっと向こうも同じはずだ。
 高文はいわゆるおしゃれなイケメンの類だ。目鼻立ちが整っていて、髪色は茶色っぽくてふんわりとウェーブがかかっている。校則はそこそこ厳しいから地毛のはずだ。加えて社交上手なものだから高文の周りには人が絶えない。親切で茶目っ気があって落ち着いていて、いつも余裕そうな顔をしている。おかげで女子にもモテモテだ。どう考えても、神様はやつを恵みすぎである。ただ、ひとつ難点を言うならば、あいつは笑顔がうさんくさい。初めて見たときから感じていたことだけど、どうやら俺以外の人にはさわやかな笑顔に映るらしい。解せぬ。
 対して俺はというと、髪は固くて真っ黒で、適当に切っただけの短髪だ。顔が良かったら今まで彼女の一人や二人できていたはずだ。付き合いやすい性格ではないらしく、友達は少ない。目が悪いので眼鏡が自分の一部である。
 これで俺には明晰な頭脳があって、向こうはそうでないというのなら、まあそれぞれ秀でた部分があるのだと納得しよう。けれど現実はそんなにうまくできているわけじゃなく、俺もあいつも勉強はできるし、むしろ何でも飄々とこなせてしまう高文の方が優れているような気もする。まったく神様は不公平だ。


 戻る 次のページ






















































 2,きっかけ
    ーーーーーーーーーーーーーーーー

 さて、先ほども述べたが、高文との出会いがいつだったかはよく覚えていない。ただ俺もあいつも、出会いたてのころはお互い壁を作って上っ面だけで接していたことは覚えている。
 いつからそれが変化したのか、記憶を辿ってみると思い当たることがひとつ。
 俺は何の気なしに「お前の笑顔うさんくさい」と本音を漏らしたことがある。初対面か、何度か面識があった状態だったかは申し訳ないがうろ覚えだ。ただ、その言葉は大きな威力を持った爆弾だったらしく、一撃であいつの壁を吹き飛ばしてしまったようだった。
「なんだよそれ」
 そう返されて、しまった、と思った。またやってしまったと。気分を害したに違いない。ひやりと周りの温度が下がっていくこの感覚、もう何度も経験した。指先が冷たくなっていく中、背を向けられることを覚悟していた。
「そんなこと言われたの初めてなんだけど。それともみんな、遠慮して言わなかっただけかな」
 ああ嫌だ、恥ずかしい。なんて疲れた顔でぼやく姿は、俺が想像していた反応とは全く違った。そして、少しの間の後、高文は改めて俺に向き合って、真剣な顔をしてこう言った。
「あのさ、俺に数学教えてくんない?」
 俺が目を丸くすると「苦手なんだよね」と付け足した。違う、俺が聞きたいのはそこじゃない。
 確かにこいつ、数学だけは文系生徒の平均くらいだ。散々紙越しに見てきたから知っている。でもそうじゃなくて。
「怒らないのか?」
「ああ、まあ普通は怒るか笑うかするかもね」
「何で急に数学の話になったんだよ」
「察してくれない?」
 悪戯っ子みたいににやりと笑う高文を前に、俺は言葉を詰まらせた。無理だろ。どこからどう察しろというのか。
「理仁って部活やってる?」
「囲碁部だけど」
「囲碁部って部員少なかったよな。じゃ、暇だよね。明日遊びに行くからよろしく」
「はあ?」
 俺の抗議の声が届くことはなく、あっという間に約束を取りつけられてしまった。
 囲碁部なんて言っても活動はほとんどない。そもそも部室に人がいない。相手がいれば打つが、半分は一人で打つか勉強するかしていた。だから高文がやってくると聞いて、断る理由など何もなかったのだ。むしろ、いい加減一人は寂しかった。
 翌日の放課後、約束通り高文は片手に数学の教科書とノートを携えて囲碁部の部室へとやってきた。狭くて埃っぽい、がらんとした部屋。座る主のいない椅子は物寂しげに影を落とす。
「よっ、遊びに来ちゃった。数学教えてよ」
 今日は俺以外に人はいない。断る理由などなかった。



 前のページ 戻る 次のページ


























































 3,こどく
    ーーーーーーーーーーーーー

 それからというもの、高文はちょくちょく囲碁部の部室を訪れるようになった。他の部員がいるときは顔を出すだけにするかおとなしく勉強しているかの二択だが、俺以外に人がいないときはよく喋るやつだった。しかもその内容は、驚いたことにだいたいが愚痴っぽかったのだ。授業の進度が遅いだとか、先生の説明がくどいだとか、先生や生徒にいちいち注目されてめんどくさいだとか。
「頭が良くてうらやましい、すごい、なんでそんなに勉強できるの、とかさ、いつも言われるんだけど、うんざりっていうか、いい加減にしてほしいっていうか。成績がいいってだけで他はみんなと同じなのにさあ。勝手に線引きすんなよって、ちょっとムカつくんだよね。クラスメイトに自分と違う人間だって思われてんのけっこう辛いんだけど。……俺って心狭い?」
 けど、おしゃべりばかりで何しに来たんだと怒ることはできなかった。俺もやっぱり共感してしまうものがあったから。
 会話を重ねるごとにこいつの印象は変わっていった。一見さわやかで人当たりの良い、人生順風満帆に見える彼は、実は意外なほどに毒舌で、いろんなものに不満を持っていて、そして思っていたよりも、ほんのちょっぴり、人を大切にする人だった。
 正直、初めのうちは完璧すぎて近寄りがたかった。けれど話をするうちに徐々に親近感を持ち始め、こいつも俺と同じなのだと気がついたんだ。
 唐突だが、ずば抜けて勉強ができるのがうらやましいって思う?
 答えはないけれど、俺は楽なものではないと思う。なぜかってこれが案外、理解者を得るのが難しい。同じ目線で話せる相手がいないというのは心許ないものだ。
 勉強に限らず、天才だとかどこか突出している人っていうのはもしかしてどこか同じような孤独を抱えているのではないだろうか。その能力が高ければ高いほど、努力をしていればしているほど、溝は深く広くなっていく。皮肉だな。
 つまるところ何が言いたいのかというと、こいつも俺も、同じ孤独を抱えていたのだ。その孤独は深みへと沈んでゆく高い密度と、心を病ませる毒を持つ。その毒を中和できる相手を、こいつもきっと探していたのだ。
 俺は勝手にそう解釈しているし、それに気付いたからこそあいつとの距離が縮まったような気がした。



 前のページ 戻る 次のページ