箱庭

楽園




※神話を元にしていますが、好きなように書いておりますので
実際の神話とは別物としてお読みください。



 01


 むかしむかし、気が遠くなるくらいずっと昔のお話。太陽の神様が、地上にはじめて人間の子供を二人つくった。彼らは双子の兄妹で、兄をヤマ、妹をヤミーと言った。
 二人は実に仲睦まじい双子だった。お互いを自分の半身のように、片時も離れずに寄り添いあって生きていた。ひとりが笑いだせば、ひとりはその喜びをわけあって一緒に笑顔をこぼす。ひとりが転んで泣きだせば、ひとりはその涙を優しく抱きしめてやる。
 雄大な大地に根付く豊かな自然と生気溢れる動物たちが住む世界で、たった二人きりで幸せに暮らしていた。


 本当に仲の良い兄妹なのだが、喧嘩がないというわけではなかった。兄のヤマが比較的穏やかな性格であるのに対し、妹のヤミーは強気で活発な性格をしていた。まるで二人の足りない部分を補い合っているかのように。
 そんなわけで、幼いながらも思慮深く冷静なヤマに、ヤミーは自分の要望を突っぱねられてむくれてしまうというのが二人の喧嘩のお決まりだった。
 今日もほら。

「もう、にいさまったらひどいわ、あの子を見捨てるの。とっても苦しそうじゃない」
「そういうことじゃないよ。ただ、自然なものにぼくたちが手を出すのはよくないと思うんだ。きっと親鳥が助けに来るよ」
「でも、そんなのわからないじゃない。だれも来なかったらこの子はひとりぼっちよ」
 言い争いの原因は、ヤミーが巣から落ちた小鳥を拾ってきたことだった。ヤマはきっと親鳥が助けに来るからそのままにしておけと言う。しかし、空を見上げて悲しそうに鳴く小鳥を見て、そのままにしておけないとヤミーは反発する。
「だいたい、それを拾ってきてどうするつもりなんだ。どうせ弱って死んでしまうよ」
「そんなことないわ。私がいっしょうけんめい育てるから!」
「それは難しいことなんだ。元の場所に返してきなさい」
「どうして決めつけるの、大切に育てたらきっと元気になるわよ」
 自分の行動を否定されて機嫌が悪くなり、むきになって突っかかってくる彼女にヤマも怒った顔をした。
「聞き分けの悪い子だな。後悔するのはヤミーなんだぞ」
「話を聞かないのはにいさまでしょ! もう、にいさまなんて知らない!」
 彼女はそう叫ぶと、元気のない小鳥を連れて家から飛び出した。ヤマは走り去る彼女の背に向かってその名前を呼んだが、立ち止まる様子はこれっぽっちもなかった。暖かな太陽の光を受けながらため息をひとつ吐く。そんなつもりはないのにいつも彼女を怒らせてしまう。
 誰にも親の代わりなんてできないのだ。ましてや人と鳥である。本当に必要なものを見抜くのは難しい。それに、どれだけ可愛がっても、あれほどまでに弱ってしまったのでは遠からず衰弱して死んでしまうだろう。そのとき傷つくのはヤミーだ。彼女に悲しい思いをさせたくなかった。
 かわいい妹のことを思っての行動でも、何が足りないのか彼女を傷つけてしまう。ただ、まだ優しい諫め方がわからないヤマも、仲直りの仕方は知っていた。



 彼らの家から少し離れた森の中に、ひっそりと佇む大樹がある。太い幹に大きく広げた枝は力強く、青々とした葉は生命力に溢れている。その陰で気持ち良さそうに鳥が鳴き、リスがちょこまかと枝を渡っていた。その大樹の根元に、少女がふてくされた様子でちょこんと座っている。
 ヤミーは脚を抱えて、にいさまはひどいわと膨れっ面で文句をたれていた。
「ねえ、あなたもそう思うでしょ? ひとりぼっちは嫌よね」
 小鳥を大切そうにひざの上に乗せて呟くが、小鳥はじっとうずくまっているだけで何の反応もない。あなたはそんなことないのかしらと弱々しくこぼしてヤミーは顔を伏せた。にいさまはとても優しい人なのに、どうしてそんなに冷たいことが言えるのだろう。
 まぶたを閉じるとそよそよと木の葉がささやく声や川のせせらぎが聞こえてきて、次第に波立った心が落ち着いてくる。そのまま心地のよいゆったりとした時間の流れに身を預けた。

 
ふと目が覚めた。どうやら眠ってしまったようだった。どれくらいの時間が経ったのかはわからないが、そよ風も木漏れ日もさっきと変わらずに彼女を包み込んでいた。
「いけない、寝ちゃってたみたい」
 膝の上に乗せた小鳥は身じろぎ一つしない。あなたも寝ているの?と小鳥の背中を撫でるが、違和感を覚えて手が止まった。動揺して身体が大きく動いてしまい、小鳥はぽとりと地面へと落ちた。仰向けに奇妙な角度で落ちてしまったのだが何の反応もなく、目を覚ます気配はない。目は閉じられたままだ。
「起きてよ」
 恐る恐る触れてみるが相変わらず動く様子は見られない。鼓動も呼吸も存在しない、ただの置物のようだった。それが意味するところを彼女は知っている。
「私のせい?」
 涙が浮かんで流れていく。にいさまの言うことを聞いて何もしなかったらこの子は助かっていたのだろうかと、考えれば考えるほど涙が溢れてきた。死なせるつもりなんかなかったの、ごめんなさい、助けようと思ったの、泣きじゃくりながら死んでしまった小鳥に謝っていた。
 そうして俯いてずっと泣いていると、誰かが目の前にやってきて頭から優しく抱きしめられた。誰かなんて見なくてもわかっている。回された腕の温かさに一層涙が滲んだ。
「泣かないで」
 ヤマは悲しそうに呟いた。
「ヤミーのせいじゃないよ」
 彼女は俯いたまま首を横に振る。
「最初からきみのことを信じればよかった。二人ならもしかしたらなんとかできたかもしれないのに。ぼくだって一緒だ。きみだけのせいじゃない」
 そう言って慰めると、彼女はますます大粒の涙を零すのだった。ヤマは腕に力を込めてさらに彼女を抱き寄せ、そのままヤミーが泣き止むまでずっと優しく頭を撫でてやっていた。
 実際ヤミーが小鳥を連れてきたときから、既に小鳥はずいぶんと弱っていた。連れてきてもそのままにしても死んでいた可能性は高い。ヤマはそれをわかっていたけれど、決して口にはしなかった。
 しばらくしてヤミーが落ち着くと、彼は手を離して彼女の正面にしゃがみなおした。
「ヤミー」
 名前を呼ぶと、ゆっくりと少女は顔をあげた。泣きはらして目が赤くなっている。目が合うとヤマは少し困ったように眉を下げて微笑んだ。
「ごめんよ、ぼくもきみの言うことを聞こうとしないで強く言ってしまった。ね、仲直りしよう」
 ヤミーは少しだけ目を伏せて小さく頷いた。
「……わたしも、ごめんなさい。けんかなんてするつもりじゃなかったの」
「うん、わかってる」
 ヤマは仲直りの印、と笑って右手を差し出した。ヤミーは兄の姿に眩しそうに目を細め、そっとその手を握り返す。ヤマはおどおどしつつも応えてくれた妹に安心したような表情を見せた。
 二人は冷たくなった小鳥を木の根元に埋めてやった。埋め終わった後、ヤミーは熱心に手を合わせていた。謝っているのだろうか。しばらくすると彼女も顔を上げる。気持ちのよい風が通り抜け、少しの間二人は無言でしゃがみこんでいたが、すっとヤマが立ち上がった。
「さあ、帰ろう」
 そう言って、彼は手を差し出す。彼女も頷いてその手を取った。温かくて気持ちのいい手のひら。心が落ち着く。
 優しい手のひらに導かれながら、こうしていつの日か、私かにいさまも死んでしまうのだろうかとふっとそんな思いがよぎった。想像しただけで二つに裂かれるような痛みを感じ、繋いだ手をぎゅっと強く握りしめる。
 不安が伝わったのか何も言わずに握り返してくれた兄に、なんだか気持が温かくなって頬を緩めると、そんな不安なんてどこかへ行ってしまった。二人ならきっと大丈夫、そう思えた。



 後日、ヤマはヤミーに見せたいものがあると言って森へと連れ出した。
「ほら、あそこ」
 彼が指差した先にあるのは鳥の巣だ。その中には親鳥が一羽、すっぽりと収まっている。何かと不思議に思っていると、間もなくもう一羽鳥がやってきた。くちばしに何かくわえている。すると、母鳥の下からもぞもぞと何か這い出してきて、大きく口を開けて鳴き始めた。二羽の鳥たちの子どものようだった。親鳥がもってきた餌をヒナの前にぶら下げると、ヒナは勢いよく食いついた。母鳥は満足げにその様子を眺めている。
「この間子どもが生まれたばかりみたいなんだ」
 なんだか幸せそう、とヤミーは呟いた。そのまま、二人は黙って親子の様子を見ていた。
 帰り際にあの小鳥を埋めた場所に寄ってみたが、草花が生い茂り、もうどこに埋めたのかもわからなかった。しかし、おそらくそうであろう場所には白、黄、桃とかわいらしい小さな花たちが優しげに咲き乱れて、まるで小さな楽園のようだった。